家族

1940(昭和15)年5月13日の楠元家。裏面に「政則2歳、主人31歳、私24歳」と記す。場所:台湾台南州虎尾街埒内栄村二十番戸(現在の雲林縣虎尾鎮埒内里尾園)。

サトウキビ農場

「台湾台南尾園 サトウキビ農場 昭和15年3月 収穫記念」と記す。

祭礼

背景の万国旗に「日の丸」と共に、かつての軍事同盟国ナチスドイツの「鍵十字」の国旗が見える。

台湾総督府

ポストカードより

日本人移民村

台中州北斗郡沙山庄草湖5番地(現・彰化縣芳苑郷文津村芳草路)。1936(昭和11)年頃香川縣坂出市から母方の両親ら一家11人が農業移民として移り住んだ。

秋津國民学校(台中州北斗郡沙山庄草湖 )

現在的草湖國民小学(彰化縣芳苑郷文津村芳草路66號)。同校には日本統治時代のアルバムが保存されており、母の弟の重徳の姿もあった。

1940(昭和15)1月、楠元辰雄・貞枝結婚。場所は台湾(?)。両親が住んだ栄村(現・雲林縣)は1935(昭和10)年夏に開村された。

楠元(旧姓・片野坂)松子(高雄市堀江町一丁目6番地)。弟・楠元貞雄の実母。

台湾統治時代の警察官。母の叔父・猪熊彌三郎。香川県坂出市出身。昭和9年「臺南州新化郡」の巡査に始まり、「臺南州虎尾郡」および「臺南州北港郡」の巡査部長。
(臺湾総督府警察職員録参照)
なお、父方の叔父・片野坂榮次は「昭和19年嘉義市役所庶務課」と名前があった。

母の実家(香川県坂出市)の引揚者名簿。両親・きょうだいの7名の名前が記されてある。臺湾台中市で病死した弟の名前と母本人の名前はここには無い。母は台湾で結婚、楠元として、子供2人を抱え福岡に引揚げてきた。

戦争に召集された夫に替わって、臺湾で母は留守家庭を守った。この名簿に父と母の名前が記されてある。父の部隊は日本敗戦後臺湾で解散した。

臺南州立農業國民学校嘉南塾(修業年限1年)。昭和9年栄村に創立。父の名は1937(昭和12)年度修了生の所に記されてある。同校卒業生が栄村(現・雲林縣虎尾鎮)を盛り立てた。砂質地を改良し水田とし、一部畑に柑橘類の果樹を栽培した。